だいたい毎年、この時期に村の氏神の様のお掃除を行うのですが、一昨日とその前、雨がちでした。
なので、ちょっとだけ心配していたのですが、私の経験上、このお掃除の日はたいてい晴れています。
昨日のお掃除の日。
やはりピーカンで、春らしいお日和でした。
周辺の草刈り、落ち葉掃き、神社の内部と拝殿の内部のお掃除。
この春のお掃除では、それ以外に大変なことが一つあり、前にも書いたことがある気がするのですが、それは屋根の掃除なのであります。
別に決まっているわけではないのですが、なんとな~く、この高いところに上がる作業を私がいたさねばなりませんっ( ̄^ ̄)ゞ
や、やりますよ! もちろん!
でも、高いところ、怖~い((((;´・ω・`)))
が、しかし。
慣れるもんですね~。
いや、高いところは怖くて、その感情には何の変化ものないのですが、この神社の屋根掃除の要領といいますか、こうすればいいとか、こういう順番ですればいいとか、そういうのです。
かつてのホテル業界でも発揮された要領の良さというのが、ここでもとうとう、高所恐怖症を乗り越えて発揮され始めた!
……
……
いやいや、まあ、そんなたいしたことじゃないんですけれど(笑)
どっちかというと、「いかに怖くないようにやってしまえるか」というところに熱意を注いだわけですね(爆)
いつだったか、滑りやすいところで危うく下へズルズルいって、みっともなく必死になって瓦にしがみついていたことがあったのですが(笑)
今回はそういうリスクを冒すこともなく、
任務をやり遂げたのであります。p(*^-^*)q
山の中の神社なので、周囲から木が覆ってきていて、屋根や境内の積もる木の葉の量は大変なものです。
煙はそういった木の葉や倒れた竹などを焼いているものです。
この時点では屋根から木の葉は下ろし切っていますが、作業前は瓦が見えている面積がかなり少なかったのです。
この日は、氏子総代としての私は、もう一つ重要な任務がありました。
それは集まってくれた氏子の方々と、神社の今後について話し合うということでした。
この日集まっている氏子も5軒(氏子数は6軒)。
もはや神社を支えていくのは難しい状態になってきています。
ですから、この神社をどこかに合祀して…というご意見が、このところ強かった。
ところが。
私はだいぶ前に、村の神社を他へ合祀する場合、どのようなことが起き、どういう手続きが必要で、どの程度の費用が掛かるのかとか、具体的なことを神社庁に確かめていました。
実際、この合祀にはそれなりの手間がかかるもので、難しい問題もあるのです。
一番大きいのは、御霊だけ移され、残された社です。
神社庁の方はこれを残すのはあまり好ましくないとおっしゃいました。
・残していると、やがて荒廃していく神社を見るのも、地元の人は苦痛。
・管理もされないので、やがては潰れるが、危険である。
・残していることによって、地元の人だけでなく、拝みに来る人も存在し続ける可能性がある。
つまり合祀で一つの神社という宗教法人をなくす場合、社殿自体もなくしてしまうのがベストだというのですね。
ところが、社殿を解体するのためには、リアルにお金がかかります。
一つの家を解体するのにも、結構なお金がかかりますが、それと同程度のものが必要になります。
それだけのものを負担する経済的体力は、今の村にはありません。
したがって社殿を残したまま、御霊にお移り頂くということにならざるを得ないのですが、これだけと社殿がいつか自然に潰れるのに任せるしかないのですが、そうなったらなったで氏子には別なデメリットがあります。
合祀を受け入れてくれた神社。
私たちはそこの氏子になるわけです。そうすると、氏子料もそこの定められた額を払い、しかも地元ではないところへ出向いて行かねばなりません。
そこの地域のやり方に従っていかねばなりません。
合祀はたいてい隣接した地域の神社に行われるのが常らしいのですが、そこが受け入れてくれるかどうか、また受け入れてくれなかった場合、さらに遠い場所の神社にという流れにもなります。
さらにこれ以外にも、うちの神社には難しい別個の問題が存在しています。
これはきわめてデリケートな部分に入りますので、詳しい解説は致しませんが……
信教の自由は憲法で保障されていますので、こういった煩わしさを嫌って、「や~めた」といえばそれまでです。
が、それは非常に後味が悪く、なおかつ、今まで私たちを護ってくださった氏神様に大変に失礼です。
ちなみに私たちの村の神社は、山村神社という名称で、祭神は大山祇命(オオヤマツミノミコト)です。
日本神話上、すごく頻繁に名前が出る神様ですが、
でありながら正体が定かでありません。
あるときは出雲に降った素戔嗚尊の妻となるクシナダヒメの先祖が大山祇命とされ、天孫降臨のニニギのミコトの妻となる女性、コノハナサクヤヒメの父親が大山祇とされていますし、他にこのご神名は至る所に見受けられますが、はっきりとした説明は神話に見出せません。
(神話上、イザナギとイザナミの子とされています)
愛媛県の大三島にある大山祇神社は、全国の大山祇神社の総本社です。
地図でご確認いただくとはっきりしますが、瀬戸内海で東西の交通を関所のように留めているのが、この大三島付近の諸島です。
この大三島の大山祇命は、非常に海神としての性格を強く帯びています。
海神といえば、大綿津見神(オオワタツミ)という大山祇に対比したような存在があるのですが、なぜか大三島ではこれが大山祇命。
神社伝承学を研究されている小椋一葉さんは「消された覇王」の中で、この大綿津見神と大山祇
煙はそういった木の葉や倒れた竹などを焼いているものです。
この時点では屋根から木の葉は下ろし切っていますが、作業前は瓦が見えている面積がかなり少なかったのです。
この日は、氏子総代としての私は、もう一つ重要な任務がありました。
それは集まってくれた氏子の方々と、神社の今後について話し合うということでした。
この日集まっている氏子も5軒(氏子数は6軒)。
もはや神社を支えていくのは難しい状態になってきています。
ですから、この神社をどこかに合祀して…というご意見が、このところ強かった。
ところが。
私はだいぶ前に、村の神社を他へ合祀する場合、どのようなことが起き、どういう手続きが必要で、どの程度の費用が掛かるのかとか、具体的なことを神社庁に確かめていました。
実際、この合祀にはそれなりの手間がかかるもので、難しい問題もあるのです。
一番大きいのは、御霊だけ移され、残された社です。
神社庁の方はこれを残すのはあまり好ましくないとおっしゃいました。
・残していると、やがて荒廃していく神社を見るのも、地元の人は苦痛。
・管理もされないので、やがては潰れるが、危険である。
・残していることによって、地元の人だけでなく、拝みに来る人も存在し続ける可能性がある。
つまり合祀で一つの神社という宗教法人をなくす場合、社殿自体もなくしてしまうのがベストだというのですね。
ところが、社殿を解体するのためには、リアルにお金がかかります。
一つの家を解体するのにも、結構なお金がかかりますが、それと同程度のものが必要になります。
それだけのものを負担する経済的体力は、今の村にはありません。
したがって社殿を残したまま、御霊にお移り頂くということにならざるを得ないのですが、これだけと社殿がいつか自然に潰れるのに任せるしかないのですが、そうなったらなったで氏子には別なデメリットがあります。
合祀を受け入れてくれた神社。
私たちはそこの氏子になるわけです。そうすると、氏子料もそこの定められた額を払い、しかも地元ではないところへ出向いて行かねばなりません。
そこの地域のやり方に従っていかねばなりません。
合祀はたいてい隣接した地域の神社に行われるのが常らしいのですが、そこが受け入れてくれるかどうか、また受け入れてくれなかった場合、さらに遠い場所の神社にという流れにもなります。
さらにこれ以外にも、うちの神社には難しい別個の問題が存在しています。
これはきわめてデリケートな部分に入りますので、詳しい解説は致しませんが……
信教の自由は憲法で保障されていますので、こういった煩わしさを嫌って、「や~めた」といえばそれまでです。
が、それは非常に後味が悪く、なおかつ、今まで私たちを護ってくださった氏神様に大変に失礼です。
ちなみに私たちの村の神社は、山村神社という名称で、祭神は大山祇命(オオヤマツミノミコト)です。
日本神話上、すごく頻繁に名前が出る神様ですが、
でありながら正体が定かでありません。
あるときは出雲に降った素戔嗚尊の妻となるクシナダヒメの先祖が大山祇命とされ、天孫降臨のニニギのミコトの妻となる女性、コノハナサクヤヒメの父親が大山祇とされていますし、他にこのご神名は至る所に見受けられますが、はっきりとした説明は神話に見出せません。
(神話上、イザナギとイザナミの子とされています)
愛媛県の大三島にある大山祇神社は、全国の大山祇神社の総本社です。
地図でご確認いただくとはっきりしますが、瀬戸内海で東西の交通を関所のように留めているのが、この大三島付近の諸島です。
この大三島の大山祇命は、非常に海神としての性格を強く帯びています。
海神といえば、大綿津見神(オオワタツミ)という大山祇に対比したような存在があるのですが、なぜか大三島ではこれが大山祇命。
神社伝承学を研究されている小椋一葉さんは「消された覇王」の中で、この大綿津見神と大山祇
命も実態は素戔嗚尊であるを述べています。
小椋さんは原田常治さんというすでに故人となれた先達が見出した神社伝承学の継承者で、神社に残る伝承を検証して突き合わせることで、記紀に記されていない神話の実態に迫る研究をされています。
じつは私たちの山村神社にも、その研究の傍証となる事実が存在します。
この神社の大元となる峯に存在するのは、「祇園様」と「金毘羅様」なのです。
※ この山が私の家の建っているところだったりします。
祇園様は、京都の八坂神社です。祭神は素戔嗚尊であるのは周知です。
金毘羅様は、四国の有名な神社ですが、これは私の住む由加神社と、昔は対となっていました。
江戸時代には金毘羅参りと由加参りを両参りとして、隆盛になっていたのです。
これは祭神を調べてもわかるのですが、金毘羅様はたぶん祇園様である素戔嗚尊と大変つながりが深い。
そして金毘羅様は、やがて大和の三輪山に鎮まる神ともなっています。
そういった経緯は、物語のフィールドにある「ヤオヨロズ」の物語と歴史時代をつなぐ接点に存在しているストーリーです。
たぶん大山祇も大綿津見も、素戔嗚尊の別称であるのだろうと思われます。
この片りんは、以前も少し触れましたが、八重垣神社と山村神社のリンクにもあるようです。
こういった裏側の事情は、当面の神社存続への私の決意を促すものともなりましたが、ほかの氏子の方々にはちんぷんかんぷん。
たぶん説明してもよくわからないはずで(なにせ何の神様をお祀りしているのかもご存じない方もいます)。
そこで現実的に、いろいろと論理武装して話し合いに臨みました。
これは2016年事業計画の中で触れていることにもかかわっています。
ともかく話し合いは、円満に終了。
この日に来られていなかった一軒は、事前に委任を取り付けていましたので、満場一致で、当面は存続させる方向でまとまりました。
小椋さんは原田常治さんというすでに故人となれた先達が見出した神社伝承学の継承者で、神社に残る伝承を検証して突き合わせることで、記紀に記されていない神話の実態に迫る研究をされています。
じつは私たちの山村神社にも、その研究の傍証となる事実が存在します。
この神社の大元となる峯に存在するのは、「祇園様」と「金毘羅様」なのです。
※ この山が私の家の建っているところだったりします。
祇園様は、京都の八坂神社です。祭神は素戔嗚尊であるのは周知です。
金毘羅様は、四国の有名な神社ですが、これは私の住む由加神社と、昔は対となっていました。
江戸時代には金毘羅参りと由加参りを両参りとして、隆盛になっていたのです。
これは祭神を調べてもわかるのですが、金毘羅様はたぶん祇園様である素戔嗚尊と大変つながりが深い。
そして金毘羅様は、やがて大和の三輪山に鎮まる神ともなっています。
そういった経緯は、物語のフィールドにある「ヤオヨロズ」の物語と歴史時代をつなぐ接点に存在しているストーリーです。
たぶん大山祇も大綿津見も、素戔嗚尊の別称であるのだろうと思われます。
この片りんは、以前も少し触れましたが、八重垣神社と山村神社のリンクにもあるようです。
こういった裏側の事情は、当面の神社存続への私の決意を促すものともなりましたが、ほかの氏子の方々にはちんぷんかんぷん。
たぶん説明してもよくわからないはずで(なにせ何の神様をお祀りしているのかもご存じない方もいます)。
そこで現実的に、いろいろと論理武装して話し合いに臨みました。
これは2016年事業計画の中で触れていることにもかかわっています。
ともかく話し合いは、円満に終了。
この日に来られていなかった一軒は、事前に委任を取り付けていましたので、満場一致で、当面は存続させる方向でまとまりました。
アクラの木(クロガネモチ)から木漏れ日。
神社というのは、たいていパワースポット、風水の龍穴などに建てられていますが、ここもそうなのでしょう。
そういった場所ではよく木が育ちます。
このアクラの木も大変にご立派です。
できうるものならば。
これらを守っていきたいものであります。
神社というのは、たいていパワースポット、風水の龍穴などに建てられていますが、ここもそうなのでしょう。
そういった場所ではよく木が育ちます。
このアクラの木も大変にご立派です。
できうるものならば。
これらを守っていきたいものであります。