だんだんと、朝のジョギングがやりやすくなってきたと思っておりましたら。
ひと枝だけ、この部分だけが花開いていました。
縁起がえ~感じ。
さてさて。
ここ数日書いてきた「目覚めの時シリーズ」なんですが。
この記事はそれの補足? ダメ押し? 最終?です。
目覚めとは自覚であり、自覚とは自らを知ること・自らを覚ること・自らの秘められていたものを見出すこと、です。
そして、自分を覚ることで、「本来の魂の目的に沿った生き方」へと移行していき、それは喜びの道ともなり得る。
ホロスコープは魂の計画が表示されたものであり、そこにはかならず「本来の魂の有り様」が示されています。
という前提です。
そうすると?
当然、ホロスコープを理解することは、「自覚」になりますし、その理解に基づいた生き方は喜びの道となり得るわけです。
実際、ホロスコープはそのためにはとてもすぐれた技術です。
視覚的に分かる形で、「図解」されているわけです。
解剖学の解説書みたいなもので、「ここがこうだからこう」「これとこれがああだからああ」といった、星や星座を通じた情報が自分のことを教えてくれます。
人は自分自身のことは、意外に理解していないことがあります。
理解を拒絶する場合もあります。
あえて見ないようにしているものも。
そういったものにホロスコープは光を当て、当人に理解できるように提示する。
鏡を直視することには抵抗があるかもしれません。
容姿がどうのこうのではなく、人は自分自身のありのまますべては受け入れにくいことも多い。
しかし、ホロスコープはその人のことをうまく表現した「似顔絵」のようなものです。
そこには、ちょっと見方や生き方を変えたら、よりきれいに見えるケースも描かれています(つまり、より良く生きられる可能性)。
こういった一度別な情報として変換されたものは、人は受け入れやすいのです。
こういった機能を持つのは、ホロスコープだけではありません。
四柱推命表なども、非常に高度に洗練されたものです。
読む人が読めば、四柱推命表からもその人の魂の情報が読み取れるはずです。
今生で何をしようとしているのか、そのためにどういうものを携えているのか。
これはタロット・カードに出ることも当たり前にあります。
霊感占いでもあり得ます。
透視できる場合もあります(金沢のリブラさんなど、私の魂の目的を、私自身以上に的確に表現した)。
こういったことは、どのような占術であっても、占術そのものに優劣はないだろうと考えられます(ある水準に達している占術であれば)。
存在するとしたら、その占術を駆使する人物が、どこまで読み取ることができるのか、ということだけです。
信頼できる占者であれば、「自覚」につながる鑑定ができるはずです。
私が皆々様にお伝えしたいのは、「他」からの情報を手がかりとしたいのであれば、どうぞ信頼できる方にご相談くださいということです。
一方、こういった占術を学ばれるのもとても有効です。
ホロスコープなどは、身に付けるほどに、どんどん自分の理解が深まります。
私自身、自分のホロスコープでいまだに新しい発見があります。
これでOKという底がありません。
深遠なものほど、そうです。
ただ、ホロスコープにしても四柱推命にしても、高度な占術はあるレベルに達するのに、それなりに骨が折れます。
身に付けたらこれほど心強いものもないですが。
タロットなどの「カード」というツールのほうが、ずいぶんと敷居が低く、しかも「感性」や「感覚」で理解しやすい傾向はあり、人によってはこちらのほうがしっくりくるということは多いでしょう。
いずれにせよ、なんらかの自分に合った、自分を覚る・自分に気づく手法に親しむことは、ご自身の目覚めにとても有効です。
注意点としては、どんな占星術でも、麻薬のように溺れないことです。
私がこのシリーズの中でも、強く申し上げたいのは、自分を知ること・覚ることの大切さです。それが幸福・歓喜に繋がる。
そして、そのために役立つツールである占術もありますよ、というだけのこと。
もし可能性であれば、それは「瞑想」などでも良いのです。
なんであれ、自分を見つめることが重要。
それがちゃんとできる手法は、なんでもOKなのです、
いかなる場合でも共通なのは、「自分を知る・自分を覚る」ためのツールだということです。
今、コロナ禍の中で、苦境に追い込まれているかたも大勢います。
先日のローカル・ニュースでは、夜のお店などを含む飲食関係でも200件近い閉店があるとか。岡山ですら、です。
商店街もシャッターを下ろしてしまったところも多い。
個人個人で、人生を問い直されている(と感じる)方も多く存在しているはず。
今までの有り様、生き方、やり方ではどうにもならなくなった。
そういうケースが、とても多い。
でも、あたしたちはそれぞれの魂の目的を持って、この地球上に生まれてきています。
やはり、進む道はある。
かならず、ある。
その道を進む。
見つける。
そのための大きなキイワードが、「自覚」であると感じます。
自分を知る。
自分が分かる。
自分の見いだせなかった何かに気づく。
そこに、多くの人の、現状打破のスイッチがある。
いや。
もしかしたら、その人個人にとっては、「真の歓喜の人生を歩ませるため」の伏線になっているかも知れないのですから。
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