ようやくやって来ました。
今日!
春分が!
18時37分に太陽が牡羊座0度になります。
すでに昨年の12月には、この春分図に関わる記事をUPしております。
この記事を読んでもらうと、解読していることはざっとおわかりいただけるのですが。
ちょっと追加で、興味深いことをお伝えしておきます。
このチャートには、興味深い配置が確認できます。
それはセミ・ヨッドが連続して構成されていることです。
セミ・ヨッドは連続した三つのサインで、ABCの天体が同じような度数で並ぶことで、AB、BC間はそれぞれセミ・セクスタイル(30度)、AC間はセクスタイル(60度)になります。
これが三つのサインではなく、それ以上のサインで連続して構成される複合アスペクト。
これを私は、自分で勝手に〝ネット・ヨッド〟と呼んでおります。
ネット(網)のように広がったヨッドという意味で。
こんな感じ。
ただ、世間一般ではこの複合アスペクトに、何らかの名称が与えられている可能性もあります。ご存じでしたら、どなたか教えてください。(笑)
〝トールハンマー〟など、占星術ネット講座のごく初期から別な名称で取り上げていたのですが、いつの間にかトールハンマーと呼ばれるようになっていました。
このネット・ヨッドなのですが、まさに広がった網に捉えられたように、なかなか逃れがたい呪縛・宿命みたいなものに縛られ、抜け出せないというような事態も発生します。
過去生、家系、先祖などの因縁などが根深いケースも多い。
それだけに簡単に呪縛を断ち切れないのですが、浄化が進めば、神の意志であるヨッドの異常開運や加護を得られると考えられます。
実を言えば、コロナ禍が始まった2019年の春分図でも、このような星座に同じような度数で天体が並ぶ現象は確認でき、制御しがたい出来事の背景にあったと思われます。
(2020年の春分図の場合、ネット・ヨッドも存在したが、別な超際立ったものがあり、世界を翻弄とした)
つまり、今年の春分図でも人類は、コロナ禍の網の中でもがく可能性はある、というか、当然、そのはずなのです。
ワクチンにせよなんにせよ、解決に至らしめるものが、まだ人類全体にはまったく波及していません。
これはざっくり見ても、「まだ一年くらいはかかる」というのは、明らかでしょう。
とはいえ、前年に比べたら格段に違っていることは確認できます。
日本の場合、このネット・ヨッドの中にMCも含まれてきます。
MCはこの場合、国際的な関係の中での日本の顔であり、政府などですから、かなりトップにとっては舵取りの難しい年であることになります。
(これは、去年もまったく同じ構図を持っていた)
ただし、日本は別な面で、かなり強さや幸運といったものを持っており、決して悲観はしないで下さい。
舵取りの難しさ、というのは、つまり政治家や官僚といった方々ということですし、場合によっては企業のトップということになります。
もし私たち個人が、この春分図で注意すべきことがあるとすれば、
やはり、何よりもこれまでの自分の行い(カルマ)が表出しやすいということが一番。
といっても、これは良くも悪くもなので、良きカルマを積み重ねてきていれば、収穫も大きくなります。
悪しきカルマの場合、結構、大きな反作用を受けてしまう可能性はあります。
どうしたらいいの? と問われるかも知れませんが、カルマというのはサンスクリット語の「行為」ですから、要するに「日頃の行い」なのです。
その集積がカルマ。
だから、単純に自らの浄化が重要。
これについては、長くなりますので、できたら明日の記事にしますね。
今、私の周囲でも、世間のあちこちでも、この「浄化」に関する動きが目立っていて、誰でも何らかの形で、自分の中にある澱をきれいにしたほうが良い。
「行為」なので、もちろんできる範囲で、人の幸せのために貢献できることはするということでも良い。
今からでも!
付け焼き刃でもないよりまし!
それが心からのものになればなお良し!
さらにいえば、打算でするのではなく、自然にやることがそうなれば超良し!
です。(笑)
今日の記事では、あとお一つ。
春分の動きを追うと、いろいろと未来のことも分かります。
いやいやいや……わかるというよりも予測されます。
少なくとも、はっきりとしているのは、
・良い意味で再建や再構成の動きが出てくる。
・一方では、現状がぐしゃぐしゃになる傾向もあり、全体に不透明になりやすい。
・浄化の動きがさらに加速する。
・スピリチュアリズムが隆盛になる。
・芸術、音楽など、精神的な文化もかつてなく強調される。ルネッサンス?
というような流れが、今後の数年間に観測できます。
いろいろ不透明で流動的になり、確かな寄る辺を失いやすいとき(数年)なので、
じゃ、そんなときは自分で創れ!
新しい人生を!
生き方を。
仕事を。
愛を。
ということです。
そのためには、理屈ではなく、感覚を生かした方が良さそうです。
渡り鳥が帰巣本能で「こっち」とわかるような。
肌で感じて、直観でわかること。
常識を持つことは社会生活を営む人として大事なことですが、
「既成概念」にとらわれるとか、あくまでも旧来のやり方にしがみつくとか、もう戻らない過去の現実に執着するとか。
いや、そんなことよりも自分で新しい土地を開墾したら?
新しい人を求めたら?
新しい生き方を選んだら?
それって、もともとのあなたの求めるものかも知れないよ。
みたいな流れです。
えー。
まったく無意識ですが。
「目覚めの時」を書いてきて、ここへうまく着地したように思います。
では。
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