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2021年3月21日日曜日

浄化のプロセス1

 ここ数年、浄化の動きが強くなる。

自らの行いであるカルマ、当然、これも浄化することになる。

というか、浄化すべきものは、そもそも人の行いを伴わずには、なかなか発生しません。


想念ですらカルマです。

たとえば人を呪う、とかいうのは、物理的な行動はないとしても〝呪う〟こと自体、〝行い〟です。


たとえば呪わなくても、毎日毎日、誰かのことを嫌い、憎しみを抱き続けるとしたら、ある人物に対してそういった負の感情を抱き続けるカルマとなるのが当然です。


しかしまあ、多くの場合は、言葉や行動によって生み出されますし、対外的にはっきりと認識される言動のほうが、カルマとしては強いでしょう。


ここで……

考えて欲しいのですが。


カルマを作らない人間は、基本的にいません。

ごく少数の例外はあるかも知れませんが、基本的に〝行い〟があると、なんらかのその行いに付随したカルマは発生します。


ただ、カルマはべつに「悪いこと」ばかりではありません。

本来は〝行い〟がカルマの意味なので、善行を積むとか、そんなこともカルマの一部です。


結局、そういった正負のカルマの天秤があるのだろう、と思われます。

閻魔様のようなものですね。


で!


何がこのカルマを作るのか?

というお話です。


え? 〝行い〟でしょう?

そういう話じゃないですか?


と思われるかも知れないのですが。


〝行い〟があると、何が生じるか? という問題です。

そこにスポットを当てると、カルマが何で生じるのか、ということが理解できます。


たとえば、あなたが誰かから心からのお祝いの言葉や物を贈ってもらったとします。

これにあなたは〝喜び〟〝感謝〟を感じるでしょう。


これはあなたの心を豊かにしますし、また贈ったその人の〝良きカルマ〟となります。


逆にあなたが誰かから強いハラスメントを受けたとします。セクハラでもパワハラでもモラハラでも。

これに対して、あなたは当然、〝怒り〟〝憎しみ〟などを抱くでしょう。


これはあなたを消耗させ、落ち込ませ、命の輝き(喜び)を減じさせます。

これは、そのような想いをあなたに抱かせた、ハラスメントを行った人物の〝負のカルマ〟となります。


当然ですよね?


ここで、はっきりしますが。

正負を問わず、ある人物の〝行い〟に付随して生じた、それを受けた人物の〝感情〟がとても重要なのです。



これは、魂が現世に生まれる根本的な理由と関わっているはずです。

(と、私は考えているだけなので、別に否定してくださって構いません)


魂は、あの世では自由自在、思うことは叶います。

この現世に生まれる理由は、あえて「思い通りにならない世界で自分を認識する」ことが目的です。

映画や演劇、小説の主人公と同じです。

なんでもすいすいと叶う主人公には、「楽」しかありませんし、見ている者や読んでいる者にとっては、これほど退屈なストーリーはありません。


魂は観客であり読者です。

〝私〟という分身を現世に送り込み、そこで疑似体験をさせる。

物質世界だけの観点では、これは疑似ではなくリアルなのですが、本質的にはこの現世に降りてきている魂たちは、全部、ある役目を演じるように任せられている役者に過ぎません。


そこで泣いたり喚いたり、喜んだりはしゃいだりしているわけです。


一番わかりやすいのは、小説を読むという行為です。

読者はたいがいの場合、主人公なり登場人物に感情移入します。

そこで主人公と同様にハラハラしたり苦しんだり悲しんだり、あるときは歓喜します。


でも、本人(魂本体)ではない。

でも、〝感情〟を味わっている。


現世に転生して続けている私たちは、こういった「本体」である魂の代役として、現世にある役を与えられて降りてきています。

その目的の多くは、〝感情〟なのです。


だからこそ、自分の〝行い〟が他者に与えた〝感情〟が、カルマになるのです。


こんなことは初耳だという方も多いと思いますし、実際、私もここまで分析的に説明したものは読んだ記憶もないのですが、

でも、魂の現世に生まれる目的が感情を味わうことであれば、

この現世で生じるカルマは、その感情に基づいたものであって、

まったく不思議はない!わけです。


逆の言い方をすれば、現世のカルマを脱却できる人(魂)というのは、

どのようなひどいことをされても、そこから離れて見ていられる

多少の負のカルマがあっても、それを補ってあまりある正のカルマがある

というようなことになるのではないか?


感情的にならないことが、かならずしも脱却ではないと思われます。

というのは、感情を味わうことが現世に生まれる大きな理由だとしたら、

とことん憎む

すごく嫉妬する

反感を抱く

憤る

悲しむ

絶望する

といった、負の感情についても味わうことが目的である場合もあるからです。


これらは、魂的な視点では、一概に否定されるべきではないのですが。

感情を体感するのが現世というステージだとしたら、こういったものも十全に味わうことも、魂にとっては貴重な体験のはず。


それには「相手」が必ず必要です。

自分ひとりで絶望も悲しみも、嫉妬も憎しみもないわけで。


相手に出会い、その相手の都の間で、どんな感情を抱くか、抱かされるか、ということ、そしてそれに対してどのような〝行い〟おするか。

それがカルマということになります。


……

なかなか終わりませんね。

明日に続きます。



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