今朝のジョギングは、いろいろな事情から、ちょっと早い時間に奥さんと出かけました。
なので、復路でもまだ日が出ていない。
煎じ詰めると、
自分のできることで人様により良く関わっていきたい
ということしかない?
あ、新居のローンは完済したいわ。(爆)
そこはリアル。
それはそれとして、ニュートラルでありたい。
以前から、自分の鑑定は〝ニュートラルだ〟と言われることがあったのですが、鑑定にしても講座にしても、その下敷きとなる探究や洞察、そして人への愛。
こういったものが、完全なニュートラルって、ないんだろうけど、そこへ近づきたい。
求道者的な人生の終わりに向けて。
なんとなく。
終わるんだろうなー、という感じがしている。
あ、もうすぐ死ぬとか、そういう話じゃなくて。
この地球での転生プロセスが、もう終わりに近づいている。
来世があるとして、だいたいそこが終わり。
おまけ転生はあるかもしれんけど。
もういんじゃね? みたいな感はある。
だから、基本、自分と家族の生活が維持さえできたら、あとはもう
〝お好きなように〟
〝お使い下さい〟
なんですよね。
あとはもう、奥さんと今後の余生的なプロセス。
一緒にあちこち行って、楽しみたい。
それと、ニュートラルって、
曖昧なものに思えるかもしれないんですが。
そうじゃないんですよ。
ニュートラルな状態にいるときが、人って幸せなんです。
幸せに移行しやすい。
なぜって?
そりゃあ。
決まってますよ。
ニュートラルでないというのは、イコール
なにかにこだわっているということだからです。
自分の欲に
自分の考えに
自分の傷に
だいたいこの三つくらいに分けられると思うのですが……
こういったものが、だいたい人を(本人を)不幸にしやすい。
瞬間的に達成感もありますし、癒され感もあります。
でも、長い転生プロセスの1回の人生の中でも、良いときもあれば悪いときもあるのが当然です。
そういう中で学びをしていくわけで。
何かにこだわれば、その道では成果を上げやすい。
これはまったく否定されません。
長い転生プロセスの中では、そういう体験を求める魂があって不思議ではない。
それがまた、他の人に希望を与えることもある。
でも、挫折や失意も得やすい。
ましてや、自分の価値観にこだわると、他の人とうまく行かない。
夫婦関係でも、結果的に受け入れてもらえず、破綻するとか。
(自分が受け入れてなかったと知る、とか)
自分が〝被害者〟の人は、幸せになりにくい。
いつも、自分の受けた傷やそのことによるダメージ、それによって引き起こされたその後の人生の「うまく行かないこと」にばかり目が行くと、もうそこに膠着してしまいます。
常に、そこが自分の根ざす場所。
いや、私たちは常に、
いつでも、
自分の新しい自由な場所に立つことができます。
ニュートラルな状態になることが、その人の転生プロセスの中で、今回必要なことかどうか、それはわかりません。
今回はとことんこだわりのもアリです。
ただ、こだわった世界の中で、ふとニュートラルな境地を得て、そこがその人の真実になることがあります。
ニュートラルであることも
こだわることも
どちらもOK。
それでいい。
人は、適切なときに、その人に適したニュートラルを得る。
だから、今回の人生を、楽しんじゃえばいい。
掘り下げていけばいい。
求めればいい。
私も求めます。
いや、私はもう、
すべてにおいてニュートラルな人生を
求めます。
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