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2021年12月11日土曜日

生きがい やり甲斐 喜び 1

タロットによると……

スイフトの現行型に乗ることは、完全否定されてしまったゼファーです。(笑)

 

え~~~、マジですかぁ。

カード上、肯定されているのがスバル……。

 

まあ、たぶん、スバルの安全性能とマルチプルな走行性能が、今後の自分に推されているんだろうな。

それは、自分のここしばらくの急激なコンディションの変化でも、そのほうがいいというのはわかる。

 

奥さんと今後、どこかへ行く、旅行する、というときでも、そのほうがいいというのは容易に想像できる。

もうクイックで機敏な車は、自分には必要ない、というよりも、向かないのでしょう。

 

しかし。

スイフト基準で考えると、100万円くらい高いのにぃ~~~。

うーん。

いよいよとなったら中古車とか新古車とか探すか……。

でも、半導体不足もろもろのせいで、今、中古車市場も史上最高の高値とか。

 

いろいろハードル高いなー。

 

 
今朝の蟻峰山の日の出は、朝靄の中で、とても神秘的! 幻想的!

 

 

 

神様、ありがとうございます。
今日も生かされています。

 

そして、今日もサロンのお客様とそのホロスコープと向き合ってきました。

 

この日常は、やはり自分には楽しい。

 

先日、小田原のニコさんと晩ご飯を食べたとき、

〝この仕事をしている喜び〟

に関する話になりました。

 

この仕事ってのは、つまりひらたくいうと〝占いの業界〟での仕事です。

 

実際のところ、どんな業界でも、その業界で、その業界の仕事をやって食べていける、というのは、ほんの一握りです。

私が商業作家としては「食えなかった」のもそうです。

出版社に限りませんが、この世は基本的に、経済原理で動いています。

つまり儲かるかどうか、いかにより儲けるか、という原理です。

 

これはすべてに関わります。

コロナ禍もそうですし、戦争や紛争もそうです。

 

恐ろしいことに、有史以来、これは変わっていません。

自由とか、博愛とか、民主主義とか。

理念はきれいで崇高なんですよ。

 

いや、崇高っぽい。

 

こういったイデオロギーも、ほとんどの場合、経済原理で動かされています。

 

こういったイデオロギーがなくても、単純に〝愛〟があれば、この世界はすべて成立するし、うまく回る。

隅々まで。

 

愛がないから、イデオロギーが必要になる。

イデオロギーは、一種、システム的なもので、愛ではない。

 

おっと、横道に。

戻ります。

 

で、そんな現世で生きる私たちは、多かれ少なかれ、経済原理の中で生活を営んで行かざるを得ない。

単純に、収入を得なければ生きていけないわけです。

 

ニコさんとのお話で出たのは、非常に多くの人が、好む好まざるに関わらず、何かに仕事に就労しているし、かなり多くの人が、その仕事に就労することで喜びを得ているわけではない、ということでした。

 

生きがいというようなところまでは達していないことが多い。

その業界でトップに登り詰めるとか、あるラインの業績を残すとか、そういう場合はその線引きしたステータスを得ることが目標なので、こういうことが〝生きがい〟〝やり甲斐〟〝喜び〟になる人は、疑問にすら思わない。

 

でも、そこまで野心的でない人のほうが多いですよね。

 

当たり前の暮らしがいい。

家族との生活が守られたらいい。

とくにやりたいことはない。

自分のできる範疇のことで貢献できたらいい。

……

すごくたくさんの事例があると思うのですが。

 

非常に多くの人が、生活を成り立たせるために、何らかの仕事をしている。

その職種は、ホロスコープ上、やはり縁職(エンショク=縁のある職種)、適職、天職などもあります。

※ 私は職の判断で、独自の観点で「縁職」というものを設定しています。

 

そもそも、仕事に重きを置かない人生もあります。

家族との関係などが重く、仕事は便宜上するとか。

これはこれで、ホロスコープ上、納得の状態で、それが健全な人もいます。

 

とりあえず、

かなり多くの人が、就労している仕事に〝生きがい〟〝やり甲斐〟〝喜び〟を見出しているわけではない、というお話。

 

この話が出たときに、ニコさんに、「先生はどうですか?」と問われたとき。

少なくとも、日常的に高揚感を感じているわけではない、と思いました。

高揚感というのは、たとえばスポーツの世界での一瞬の達成感とか、そういった種類ものです。

 

あるとき、ある事態の中で、自分が行ったことが、ある形になった、良き結果に結びついた、というような高揚感です。

でも、これって、一種のドラッグのようなもので、いつもいつも高揚感を持っていたら、それもおかしいというか、危ない気もします。

こうした刹那的な充実感は、私は今の仕事に抱いていません。

 

でも、長い視野で見たとき、相談に乗らせていただいた方の良き選択や良き視点に助力できたと感じるご報告があったときには、普通に喜びがあります。

それに。

 

私は研究者なので、日常の鑑定の中でも〝新しい発見〟をすることがあります。

今までの自分ができていなかった表現方法とか、解釈の仕方とか。

これは毎日あるわけではありませんし、ホロスコープに熟練してきた今、発見する比率は少なくなってきています。

 

しかし、ホロスコープは極めることができない。

どこまでも底が奥深いので、いつまでも発見がある。

 

この発見の喜びというのが、終わらず、ある。

 

だから、自分は今の仕事が続けやすいのかな~と思った。

〝喜び〟は続いているのです。

相談された方の喜びに貢献できる喜び。

発見の喜び。

 

この二つが、私には常にあるわけで。

 

ただ。

はたと気づいたんですよね。

 

私って、ホテルの仕事も喜び多かった。

それ以外の仕事でも、本当に世間的な評価では「底辺」のようなアルバイトもしたことがありますが、そういうところでも、それをやる〝喜び〟は常に見出していたような……?

 

どういう状況でも、それをやる楽しみは見つけていたような……?

 

もちろん、どうしようもない仕事もありました。

こりゃ、無理だとか。

ここは、人間関係がもう悪すぎるとか。

 

そういう無理な事例は存在しますが、ある程度やれるところでは、置かれた状況なりの〝喜び〟とか、それをする〝意義〟とか。

(自分の人生における意義と、社会的な意義)

 

私の人生って、たぶん、周囲の視点では、「すごく大変な人生」「苦労が多い人生」なのですが。

どんな状況の中でも、どんな仕事に就労していても、

今ここにある自分のできることと、その中での喜びを見出す

という術には長けていたのかな?と思います。

 

これができるとできないとのでは、人生の展開はかなり変わるかも。

そして、本人の心の問題、感じ方。

そこにも関係してくるように思います。

 

明日、もう一回、この記事の後編を書きますね。

 

 

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