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作家として
占星術研究家として
家族を持つ一人の男として

心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。


2016年10月15日土曜日

高峰に至る道はいくつもある


作家として。
そして占星術研究家として。
その両方の私がこの頃強く思うこととして――


今回の市民創作ミュージカルには、朝松煌(あさまつきら)さんという方が、M先生の演出助手として参加してくださっています。
この朝松さんは岡山でずっと演劇活動をされ、俳優でもあり演出家でもあります。
2014年の「ヤオヨロズ」では、スサノオの好敵手カガチを演じました。

M先生は、これまで「最後の五匹」「ヤオヨロズ」の演出を務められた、元中学校教員でありながら、岡山演劇界で名の知られた先生です。

このお二人。
まったくやり方が違う。

演出のつけ方がまったく違うのです。
M先生は、相手がキャリアのある役者であろうがなんであろうが、とにかく今回自分の思い描く言葉や仕草をどんどんつけて行ってしまいます。
これは今回のミュージカルが、上演の二日間で、ほとんどがダブルキャスト、しかも異なる結末を持つため、実質的には二本製作するようなもので、そこを意識なさって急ピッチで進められているのだろうとは推察します。

朝松さんは役者に根っこのことをまず伝え、そこから役者自身に考えさせ、構築させ、演技を引き出そうとします。
細かい演技の部分では、心理から入り、それを表現させようとするのです。

これらは、M先生は形から、朝松さんは内面から、それぞれ役者を演劇にアプローチさせようとしているということになります。

しかし、初期段階ではこのやり方の違いに戸惑う人が多かったのは事実です。
どっちのいうことを優先すればいいのか。

とくに市民創作ミュージカルでは、M先生の教え子だった人たちが多数参加していて、学生時代からM先生のやり方に染まった人が多数なのです。
しかし、そういった方々には、朝松さんのアプローチはまったく別な視線から芝居を見ていくことにもなり、新たな目を開かせるものとなっています。
そもそもこうすればよかったのか、こういうふうに考えればよかったのか。
そういう目から鱗的な驚きがあったはずです。

市民参加型のミュージカルであることを考えると。
朝松さんのやり方は素人の人でさえ、あるレベルに自発的に導けるものでしょう。
M先生の教え子の中でも、まだ未熟な若者たちには、さらに成長を促すでしょう。
しかし、同じ市民創作であることを優先して考えたら、M先生の教えに従ってしまうことのほうが、役者は楽です。
M先生も役者自身に考えることは促しますが、役者が結論を出すよりも先に演出をつけてしまう。
その通りにやれば、自分で思い悩むより簡単ですので、早くに成果が出る。


皆さんはどうお感じになるでしょうか?

昔の映画監督・脚本家に、小津安二郎という方がいたそうです。
亡くなられたのが、私が生まれた翌年である1963年の12月なので、私にはまったく知る由もなかった、だけど名監督だったそうです。

私がこの方のことを知るきっかけになったのは、以下の村上もとかさんの漫画「龍RON」です。


戦前から戦中。
激動の時代を生きた押小路龍とその妻となる「てい」という女性。
この二人を中心にダイナミックなドラマが展開される長編漫画です。

じつは私は、いずれこの漫画が大河ドラマになることを期待していたりします。
※ 村上もとかさん原作では、近年、幕末にタイムスリップした外科医のストーリー、「JIN―仁―」のドラマもヒットしました。

この「龍」の15巻16巻あたりで、小田安次郎という映画監督が出てきますが、これは実在の小津安二郎をモデルとしたと考えられます。
「龍」の中にはそのような人物が多数出てきますし、歴史上の人物ももちろん登場します。

この漫画がきっかけで、私は小津監督のことを知るようになったのですが、漫画の中で描かれていることそのままに、小津監督は役者になにもかも、細かい仕草、目線の動かし方に至るまで、演技をつけていたそうです。
自分がやって見せる動作を完全にコピーさせる。
もちろん大道具や小道具も、すべて小津監督の思うものを製作、設置。

ありとあらゆるものが小津監督のイメージするものとしてフィルムに収められていった結果、非常に芸術的で美術的にも優れた作品として評価されていった――ということです。

映画監督にもいろいろあって、役者に喧嘩を吹っ掛けるようにして挑戦し、返ってくるものから光るものを拾い出す方もいれば、ソフトタッチに役者に問いかけ、答えを導き出す方もいます。
(そういう監督たちの姿も「龍」の中に描かれています)

こういった手法の差は、どのような業界にも歴然とある。
そして、じつはどれが良いか悪いかという問題でもない。

どれも正解なのです。
そして、どちらのほうがよりプロフェッショナル、職人的ということもない。

登るべき高峰がある。
その頂上は一つですが、登るルートはいくつもあるし、やり方もいろいろある。
とくに芸術というようなあやふやな世界で、これでなくてはいけないという明確なルールはとても作れない。
しかし、そこを真摯に深めていけば、どちらも同じ領域に達する。


幸いなのは。
それが私には両方見えているということかもしれません。

昔、私がまだ作家としてプロになる前。
師匠と呼べる才女から、あることを指示されたことがあります。
それはまったくタイプの異なる小説の代表的なものをいくつか読むようにいわれたのです。

師匠はおそらく、私がある方向については、ある程度向きつつあったのを見定めたうえで、そちらに固まらさず、まだ柔軟な段階でいろいろなものに触れるということをさせたかったのだと思われます。
それらの指定された小説には、詳細な資料や取材に基づいた小説もあれば、小粋で楽しい、しかも大人の読み物もありました。
社会性に満ちたもの。リアリティにあふれたもの。
師匠が指定してきた物語の多くは、当時の私にないものを要素として持っている小説ばかりでした。

あの段階で、そういう経験ができたことは大きく、作家としての視野は確実に広がりました。
望むものを実現させる手段が一つでないことを教えられたのです。

M先生と朝松さんは、そのアプローチや考え方、演出のつけ方も異なる。
が、その両方に触れられるというのは、じつはとても得難い経験なのです。

ただ、放置すると参加者には混乱が広がる危険もある。

私は今のところ、その両方にまたがった形で参加しています。
原作者だからこそできる仕事かな??

実際には実に細かいことばかりですが、調整役。


これは占星術も同じだということを、最近、まざまざと実感しています。
それについてはまた書くことがあると思います。

占星術の高峰に至る道も一つではないと。



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