日の出のハロ。
そして、熊野神社の参道へ差し掛かると…
日の出が参道の真正面に近くなっています。
春分や秋分のころが真正面に来る。
(多少のずれはあると思うけど)
アークの中に向かって走っていける感じがウレシイ。
帰路、赤とんぼがついて回ってきました。
赤とんぼが飛ぶ季節になったのね。
早い。
天秤座の人。
お読みください。
とってもわかりやすいですよ。
楽しいことをしなくちゃいかん。
ということを、最近、よく感じます。
(この、しなくちゃいかんというのも問題ですけど)
喜びを得る行動が、波に乗るサイン?
切符?
喜び・幸福行きのチケットがあるとすれば、そのチケットを買うことかなと思います。
もちろん〝買う〟というのはわかりやすい表現です。
それは意志による選択。
おまけにその〝喜び〟が何かというのは、とっても大変なポイント。
本質的には、〝魂が喜ぶ〟ということ。
まあ、たとえば毎日パチンコに興じるのが喜びだと、たとえ刹那的な利益があっても、自分一人だけの自己満足。
おまけに、結果が〝喜びでない〟ことも多いわけですよね。
酒におぼれるとか、ひどいケースだと覚せい剤とか麻薬におぼれるという負の海王星的な喜びもこの世にあるわけで。
まことに厄介。
人がそれぞれ〝喜び〟とするものは多様で、恋愛や金儲けや勝利やセックスや他者を支配することや……いやまあ、上げたらきりがないのですが。
これらの中には〝魂が喜ぶこと〟もあれば、そうでないものもある。
娯楽の喜びがダメとか、そんな話ではありません。
魂はこの世に生まれたときに、この世で実現したいものがあります。
なんらかの〝目的〟があるので、この世に生まれているわけで。
その中には、とことん恋を楽しむとかいうのもあれば、ゲーム的な世界で自己実現するというのもあります(eスポーツとか)。
ゲームの世界は、5ハウスだったりしますし、この5ハウスは喜びに関係します。
娯楽・遊興・ギャンブルも5ハウス。
こういうことを申し上げると、5ハウスって、人を堕落させそうな感じもしますよね。
でも、1ハウスという自分の部屋を主軸にしたら、5ハウスはとても心地よい部屋。
喜びを感じるということ自体、〝罪悪〟ではない。
5ハウスには「恋愛」や「子供」なども含まれますが、恋のときめきも子を得ることも、〝喜び〟です。
5ハウスはよく「自己創造」ということが言われますが、自ら行う創造活動。
これこそ、5ハウスの本質で、自らを創造発展させることは、本質的な喜びなはずです。
わかりにくいのは、この自己の喜びと他者との関係です。
たとえば暴走族は、改造バイクでぶいぶい言わせて、自己の存在を顕示することが喜びなのですが、これは周囲の人々・環境にとっては迷惑です。
多くの家庭にとっては、騒音でしかない。
赤ん坊がようやく寝てくれたのに、こんなもので台無しにされることもあるし、自分の睡眠が邪魔されることもあるし、受験勉強が邪魔されることだってある。
その道を走るドライバーによっては、危険しか感じない。
つまり真の喜び(魂の喜び)は、どれだけ公益的な喜びが自分の喜びとして感じられるか、ということに近い。
〝公益的〟みたいな表現をすると、お役所か、みたいに思われそうですが。
物質次元の公益性もあれば、魂次元の公益性もあります。
えー?
それじゃ、やっぱ人に気を使わないといけないの?
みたいに感じる向きもあろうかと思います。
では、逆説的にいうと。
人を殺すのが喜び、みたいな極端な事例も世の中にはあるわけですが、それは許容できませんよね?
私たちは喜びを得るために、この現世に生まれてきています。
その営みを途中で断ち切る行為は、とても罪深いものです。
断ち切られた家族・親族も、その悔しさや憎しみのために懊悩することにもなりかねません。
人に気を使って、遠慮するのではなく。
人を尊重すればいい。
他人の存在を認めること、大切に扱うこと。
これだけで、世界は平和になる。
すべての魂が、先へ進みやすくなる。
魂は、この地球だけの体験をしたいわけではない。
さらにその先の体験もしたい。
ここでのカルマの脱却を果たしたなら、より高次の喜びも体感したい。
経験したい。
もちろん、この地上でも、常に〝先〟がある。
〝喜び〟がある。
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