今朝の日の出。
昨日の記事に続きです。
仏教に〝独覚〟という言葉、存在があります。
読みは〝ドッカク〟ね。
お釈迦様は悟り(覚り)を得て、それを教え広めました。
ちなみに、お釈迦様を指す言葉として、よく仏陀という単語が使われますが、ブッダというのは〝目覚めた人〟のこと。
でも、覚りを得ても、誰にも教えず、言わず、この世を去るブッダもいらっしゃる。
それが独覚。
独覚はとくに師に教えられるわけでもなく、ただ独りで覚りを得て、その覚りを誰に渡すこともない。
お釈迦様との対比で見たら……
「え~~~? せっかくいい覚りを得たんなら、他の人に広めて行きなよ!」
と突っ込みたくなりません?(笑)
なにせ、お釈迦様は今日、日本に存在する多数の仏教宗派の大元。
それだけ、ありがたい教えを残して下さったわけですから。
でも、お釈迦様も梵天の要請を受けて、衆生に説法するようになったわけで、へたをすると独覚のままだったかもしれないわけです。
そう考えると、面白いですよね。
ま、今日(だけでなく、歴史的にも)の仏教界の在り方とか、様々な組織の実態とか……
そういうことは置いといて! のお話ですよ。
(同様なことはキリスト教など、あらゆる宗教団体にも言える)
お釈迦様が説いたことは、人類全体にとって普遍的な幸福への智慧。
これが説かれるのと説かれないのとでは、歴史が変わっちゃいますよね。
やはり説かれるべき、価値ある教えがもともとにはあったと思われます。
だからこそ、広まった。
こういうスケールの大きな話でもないし、とても高尚な覚りを得たというような話でもないんですが。
私って、独覚的な人間だったんです。
(別に覚ってない。ただその姿勢が、という意味)
これは、判明した複数の過去生にも、そのような独覚的な人生が存在していて、とりあえず求道的で、知とか真理とか、そういうことを求めるものが多かったっぽい。
そのせいなのか、今回の人生も、独覚的でした。
占星術の研究が好きで、のめり込んで、自分独りで発見、探究、覚る、ということを繰り返していました。
知的な独覚ですよね。
人のことは要望があれば見ていましたが、自分の持っていたものを、誰とも共有しませんでした。
弟子にして欲しい、と言われたこともありますが、「そんなガラじゃない」と断っていました。
そんな私の独覚ぶりを突き崩したのが、今小田原のほうで鑑定士として活躍されているニコさんで、彼女の熱意に負けて、占星術を教えるということを始めました。
結果、何が起きたかというと。
私は幸せになりました。
自分の持てるものは、惜しみなく提供しました。
日々、占星術講座で何を伝えるか、次はどうしようと、考え続けました。
うまく教えようとすればするほど、今までもやもやと自分の感覚の中でしか存在しなかったものが、きれいに体系化され、より明確になり、さらにそこからどんどん新しい発見がありました。
教えるうちに、自分自身をさらに教えているのです。
思い出したのは、高校時代の「寺子屋教室」でした。
当時の担任にいいように言いくるめられ、私は他の同じクラスの生徒に、勉強を教えていました。
この高校は地元のレベルからいえば低めの学力校で、世間的な意味合いで格別私が頭が良かったわけではないのですが、比較的、学年でも上位の成績だったので、そういう役目を仰せつかったわけです。
(こういう人のコントロールがうまい担任だった)
そこでは、普通の先生相手じゃないので、寺子屋教室に参加している生徒は、私に聞いてくるんですよね。遠慮なく。
「なんで、この方程式ではこういう作業を繰り返すのか」とか。
考えたこともなく、ただそうするものだと思い込んでいたら、「言われてみれば……」なんですよね。
そこで自分なりに考える。答えを見つける。
どうしてもわからなかったら職員室の先生のところへ聞きに行く。
とかやっていると、結果的に自分のほうが「教えるために学んでいた」のです。教えることで、より理解が深まった。
この時の体験は、非常に小さなスケールで起きていることなのですが、占星術講座を始めたときに、「あのときと同じだ」と思ったのです。
自分の持てるものを分かち合うと、持っているものがなくなるわけではない。
なくなるどころか、むしろ増える、深まる、豊かになる。
こうして始めた占星術講座は、今年で10期となります。
(もうすぐ本講座が開講する。今はプレ講座中)
9年前ですよ。
その時に始めた分かち合いの結果、今や日本のあちこちに分かち合ったものを持って活動している人が何人もいる。
何人もというのは、仕事として、という意味。
個人的に参考にされているかたは、何十、いや、おそらく三桁いるでしょう。
私は独覚的な生き方でなく、分かち合う生き方を選択できたことで、自分もより良くなったし、知識と技術を伝授した人が、そこでまたどなたかのために役立つ活動ができているわけで、その新しい花が咲いているのを見るのがまた嬉しくも幸せなのです。
そういう意味で、分かち合うことこそが全体の幸福の道と信じる……じゃなくて、そうだと知っているゼファーなのです。
だから、たとえばどこかの業界、あるいは会社の中で、有能な人間が出てきたときに、自分の地位を脅かすとか考え、その芽を摘もうとか、叩き潰しておこうとかいうのは、もっとも単純に不幸に近づく道です。
これからの時代は、男性性と女性性の融合、西洋と東洋の調和の流れです。
これは日本のチャートにも明確なきっかけが示されているもので、また別な「知恵」はこれからの日本はこの融合や調和の大きな役割を担うはず。
男女のジェンダーですら、分かり合うこと、分かち合うことが難しい。
でも、これからは分かり合い、分かち合うことが重要。
そんなときに、分断や差別、無理解、尊重しない、という姿勢は、大きな反作用となるかもしれません。
それは流れに逆らう動きなので、船は転覆するかもしれません、疲れ切ってしまうかもしれません。
その流れに、素直に乗りましょう。
今日、突然の来訪者Kさんが。
家族分、差し入れてくれました。
ハタダの季節限定のメロンの菓子。
うまかった。
でも、カロリー高そうなので、これをお昼ご飯にしました。(笑)
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