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2021年5月6日木曜日

夫婦円満のふた柱

 今朝の蟻峰山系。
もやっていて神秘的な雰囲気でした。



旧宅で収穫したサクランボ。
今年は一杯実がなっていたのですが、風の強い日があって、かなり落ちてしまいました。

ほっとくと鳥の餌になっちゃうので、少し若いですが、採って帰りました。
色のわりには、さわやかな甘さがあって、美味。
季節ですな~。

さて。
いろいろ書いてきたのですが、今日で最後にします。

相手に期待する。
相手に望む。

こうしてくれるだろう、あーしてくれるだろう、と思うことが日常多いかも知れないのですが、この〝期待〟〝望み〟こそが、人間関係をこじらせる大きな要因です。
夫婦間などでも、多くのいさかい、問題の背景には、こういった感情があります。

期待しない姿勢・心持ちは、なんか自分が損するみたいな印象を抱かれるかもしれませんが、実は逆。
期待しないことのデメリットはないのです。

考えてもみてください。
期待しても、何もしない相手は何もしません。
家事も手伝わないとか、愛の言葉も口にしないとか。
期待しても何も出てこない。

出てこないと、不満やいらだちに。
しかし、期待していないと、この不満やいらだちはなくなります。
いい意味で、あきらめているからです。
期待することに執着していない。

期待ゼロの状態で、もし相手が何かをしてくれる、示してくれるということがあれば、
それは驚きにもなるし、感謝にもなるし、笑顔にもなる。
ひょっとすると、その笑顔を見た相手が、「あ、これは」と気づいて、これからは対応を変えてくれるかも知れない。
そんな連鎖も起きるかも?

つまりデメリットどころか、メリットが生まれる可能性のほうが高い。

ここから後、うちのことをあえて書かせていただきますね。

私は奥さんに対して、あれこれ〝こうであってほしい〟と思っていません。
日常生活の中で不満もほとんど抱くことはありません。
うちは特殊な状態で、私が家にいて、奥さんが外に働きに出ているので、私が家のことは結構多くのことをしています。
近所づきあいや自治会のことも含め。

外に働きに出ている人に、そもそも過剰に求めません。
お休みの日においしい食事を作ってくれる、買い物に行ってくれる、私の何らかの作業を手伝ってくれる(たとえば旧宅の草刈りとか)だけで感謝です。
ほかにもしてもらっていることは、たくさんあります。
最近は回数が少なくなりましたけど、ホテル勤務をしていたときなど、よく両脚のマッサージをしてくれていました。
私の確定申告などは、奥さんがやってくれています。
大変な作業です。

具体的な仕事だけではなく、私を愛してくれている。
これが一番感謝です。

奥さんも奥さんで、彼女は日常、私が一緒であればいい人です。
買い物に一緒に行くだけでも喜んでくれます。
もちろん一緒に旅行などできたら、それはまた嬉しです(今は無理ですけど)。

つまり相互に、相手への要求レベルが極端に低く、だから日常で幸せを感じられる状態です。
ゼロではないと思いますが、求めているものはどれも日常の中でクリアできるものだし、相互の信頼関係の中では、もうわかっているのですね。相手がしてくれることも。

やろうと思えば可能ですが、もっと相手に何かを求めることはできます。
ヤラナイシ、ヤロウトモオモワナイケド
そうなると、お互いに苦しくなります。
そこから不幸が始まるかもしれません。

こうした関係というのは、一つは、
私たち夫婦がどん底を経験していることが大きいです。
生きるか死ぬかみたいな、きわどいところまで行って、互いに支え合って生き延びた経験があるので、「日常への要求」が、どちらも極端に下がっちゃったんですよね。
(もともとそんなに高くなかったけど)

つまり、普通に暮らせたら感謝
という状態。
生きていられるのはありがたいこと。
その上で、愛情を感じ合えたり信頼できる相手が存在するだけで、まるもうけなわけです。
というよりも、最上のもの(愛と信頼)を手に入れられたわけです。

これは、奥さんのもともとの性格も関係しています。
もともと、物質的にはあまり求めない人です。
そして日常の家事とかでも、外で働いていても、できるだけ自分でやろうとしますし、人にさせると「申し訳ない」と感じるようです。
だから、私がちょっとしたことをするだけでも、そもそも感謝が大きかったのです。

この夫婦円満の資質は、はっきり奥さんのほうがもともと多く持っていたものですが、生きるか死ぬかのどん底経験の後、私のほうがそこへより同調できるようになったという見方が正しいでしょう。

このように夫婦円満に至るプロセスというのは、片方だけの努力や有り様だけでは、成立しないことがあります。
最初の選択で、良い伴侶を得られていないと、どうにもならないこともあります。
うちの奥さんにしても、モラハラ、自分ルールの夫と結婚していたら、円満にはほど遠いところで、ただ自分だけを犠牲にした生き方になった可能性もあるのです。
(ちなみに、奥さんは私との結婚時、おそらく人生で屈指の良い婚期)

ですから……
ちょっと極論っぽくなりますが。

どれほど努力しても、自分が変わっても、同じところに立てない、何も共有できない相手の場合でも、
何も望まない・求めない・期待しない自分になってほうが絶対に楽だし、やはりデメリットはないのです。
むしろ、そこまでいくと、「もうこの人との人生の課題はここまででいいのでは?」とか、自分が新しい選択をできることもあります。
そうして、「最初の選択」に戻ったほうが、というよりも、仕切り直したほうが幸せに近づけるかもしれない。

そこまで行かない関係性の人でも、望むことが苦しみを生むと知ることで、関係性を変化させることは可能かもしれない。
そこが一つのきっかっけとなって、円満のプロセスを歩めるかもしれない。

そう思い、この記事を書き納めます。

最後なんですが。
もうちょっとだけ、付け加えたいことが。

これもうちのケースですが、たとえとして。

もともと物質的なことを多く求めない奥さんですが。
私が彼女に求めない・望まないこと以外に、私がやっていることがあります。

それは、彼女が私に一番求めていることから外れない、ということです。
彼女はいろいろ求めない人なのですが、ここだけは、という求めるポイントはあるのです。

それは、彼女にとって〝自分だけを見てくれる夫である〟ということです。

私は日本各地にいろいろ出向きますし、場合によっては妻以外の女性と食事なんかをすることもあります(浮気じゃありませんよ)。
この程度のことは、奥さんもぜんぜんOKなのです。
NGだったら、そもそも私もしない。
そういう上っ面の行動ではなく、精神的にはかならず「唯一の存在として奥さんを見る」ということなのです。

これは、求めることが少ない奥さんの中で、でも、私に対して一番求めていることです(露骨な要求は受けないですけど)。
これは逆の表現をしたら、私が「この別な女性がいい」になったらアウトなのです。
ならないですけどね。(笑)

〆に申し上げたいこと。

人には絶対に譲れないことがあります。
それも大事で、それも理解してあげてください。

あの、「世界一の金持ちになることが絶対に譲れない」とか(笑)、
そんな話じゃなくて、です。
どうしても受け入れられないこと、
ここだけは死守したいこと、
そういったものが必ずあります。

相手に対して、そこは守ってあげてください。
そのひと柱。
そこを守り抜いた上で、

もうひと柱。
それが、望まないこと・期待しないこと、
なのです。


この両輪が必要なのです。
ただ、望まない・期待しないでは、「愛がない」のです。
いや、口にしないだけであるかもしれないのですが、愛がないかのように思えることがある。

でも、その人が大切に思う一線、譲れないことを守ることで、「愛」は伝わるはずです。
ま、できれば口にする・態度で示すなどはあったほうがいいですが。(笑)


このふた柱が、今私が思うところの夫婦円満(あるいは他の人間関係にも適用できる)の秘訣かな、と。

あれ? 秘訣でも何でもないと思う……
書いてみて。(爆)


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